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■ 織マーク業界の沿革
 明治の末期頃、高級洋品にロンドンから輸入された織マークが縫付けられていた。
 わが国でも兵庫県尼崎出身の寺岡兪太朗氏(明治19年生)が1台で同時に数巾を織る事ができる装置を織機に設置し、これを西陣の紋機と組み合わせてマークを織ることを考案し、織マークが製造され始めたのは明治44年頃だといわれている。
 また、北陸地方では、明治の中頃からリボンの生産が行われていた。このリボン製造の経験を生かして、大正4年に丸岡町の角田広氏が寺岡氏の指導を受けて丸岡町に織マーク製造の技術を導入し、織マークの製造を始めたのが元祖だといわれている。
 なお、この時代に内田良作氏が紋テープ織機を改造して織マークを製造、奥谷嘉次太氏、武曽与三吉氏らも、京都の胡蝶ネーム製造所へ技術修得のため1〜2年留学し、帰郷後、手織機で織マークの製造を始めている。
 このような経過を経て、大正7年頃から相次いで手織の織マーク工場ができた。その後昭和10年から13年頃までの間に手織機は全部力織機にかわり、福井県の細巾織物工場は大きく発展して、石川・桐生・足利・京都の産地をしのぐ大産地になった。
 さらに、昭和30年から34年頃には新規開業者も増え、既存業者の設備増設も盛んに行われたが、ここ数年、家内工業的零細企業は減少しつつある。
 従来、織マークは商品の異なる品名表示にとどまっていたが、近年ファッションのひとつのアクセントとしての重要性が高まり、ワッペンやスポーツ用ネーム等の需要が多く、また新製品としてコンピュータで図柄処理した史跡、名勝地、有名人の画像等を生産し、越前織として市販している。これらの生産高は全国の7割を占めている。